最近、聖書の通信講座を受けていて、聖書を読むようにしています。
まだ、キリスト教徒というわけではありませんが、聖書は、世界的に有名は、大ベストセラーであって、優れた言葉の宝庫であると思われます。
以前、高村さんという牧師さんと話をしていて、聖書を読むことを勧められ、一回全部通読したことがありました。
この本を、キリスト教徒の方たちはどんな風に読むのかを、通信講座で学び、自分の人生に生かせるか考えています。
宗教というと、色眼鏡で見られがちですが、何か精神的に、よりどころとなるものが人には必要なのではないかと思っていました。
よりどころとなるものが、人では、なんだか怪しいような気がしますし、神様というものを、人間という不完全なものではないものを信じたいのです。
診療をしていて、患者の多い月も少ない月もあって、経営的に、不安を感じる時もあります。
正直なところですが。
けれども、どんな状態であろうとも、神様の采配に信頼し、今を精一杯生きていこうと思うのです。
きっと、いいことがあると信じられることが、心の健康にはいいように思います。
去年の暮れに、中川のキリスト教会に行ってきましたが、できたら、また行きたいですね。
生きるのに、衣食住が大切ではありますが、それだけでは、なんとも満たされない感じがします。
足りないのは、言葉なのだと思うのです。
本を読むのは好きですが、それは、言葉を求めるためです。
でも、どんな本を読めば、心が満たされるかは、わかりません。
いろいろ読んでは、試してみる必要があり、聖書も、今、試しています。
三浦綾子の解説の本を読んだり、関連の本を読んだりすることで、もしかしたらこの聖書というのは、自分の心を満たしてくれるのではないかと、そんな予感がしています。
私は、まったく、誇れるような正しい人間ではないので、自分の弱さを、自覚しつつ、勘違いして、おごり高ぶることがないように、謙虚に生きるようにしたいと思います。
けれども、自信を無くして、自暴自棄にならないように、もしかして、神様がいて、私を見守ってくれるから、何があっても、結局は、大丈夫なんだと、残りの人生を、信じて生きていけたらと思っています。